例の出来事以降、イギリスから離れることを余儀なくされていた三年の間、故国と私をつなぐものは、滞在先のホテルに届けられるマイクロフトからの手紙だけだった。
手紙といっても、兄一流の記述形式による文面からは、抒情性というものが全く排除されていたから、つまりその三年間、情緒的な意味での日常は、物理的にも精神的にも、私から遠く離れたところに存在していたのだった。
また私自身も、どんな事柄も――それが肉親のことであろうとも――このように理性で割り切る兄の態度が、この上なく望ましいものだと思っていたし、歓迎もしていた。
ただ、今にして思えば、こうしたことは兄の心づかいであったのだろう。
もともと私は、崇高な目的を達するためには、感傷の存在は危険極まりないものだと考えていたし、また自分についても、そのようなものに流される人間ではないと信じていた。結局のところこの考えは、一方では当たっており、一方ではまったく外れていたのではあるが、その頃の私は、ことさらにそう信じ込もうとしていたのだ。そうした私の心の動きも、兄には手に取るように分かっていたに違いない。
その手紙を受け取ったのは、フランスに滞在していたときのことだった。フランス政府の機密を扱うという、やりがいのある、けれども、かつてのような奮い立つ興奮はけっして感じられない、そんな仕事がそろそろ仕上げにかかってきていた。
私は疲れていた。……とても疲れていたのだ。
手紙には、モリアーティ一味の残党の動きについての報告があった。いつものごとくの事務的な筆致ながら、兄は、私が“生き返る”機会が近づきつつあることを、的確に指摘していた。私は、指摘の論理性を検証しつつ、追伸(それも兄の手紙にはめったにないことだった)に目を通した。そこで思いも寄らない衝撃を受けることになったのだった。
“――Dr.Wは、近ごろ奥方を亡くされた。喪失の衝撃は彼の心を打ち砕き、身体をも蝕んでいる。憔悴ぶりは、見るに堪えないほどだ。教授一味を捕らえることができなかったのは、お前の罪ではない。しかし、友を欺き、あまつさえ彼を支えるべき時に、却ってその苦しみを増幅させていることは、お前の心において許されざる罪ではないのか。弟よ、お前はお前の為すべきことを為し、罪を償わなければいけない。そのときが来ていると、私は考えている。――”
このときの気持ちを、どう表現したらよいのだろう。
論理と理性のみに生きると決めて、切り捨ててきたはずの感情が、封印したはずの過去が――懐かしい笑顔が、胸の底からうねるように湧き上がってきた。
出口を求めて奔る内部の圧力に耐えきれず、私は壁に手をついて身体を支えた。
そして、呟いた。
彼の、名を。
「……ワトソン……」
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