※設定等、ほぼオリジナルと化しています。





 そこは、小さな島だった。
 陳腐な表現をすれば、絶海の孤島だった。
 どの方向からも陸地から離れているため、渡りの鳥たちがわずかな休息に立ち寄るほかは、陸棲の生物はほとんどいないような島だった。地球上の陸地という陸地を浸食し続ける人間どもにとっても、この小さすぎる島は、何の利用価値もないようだった。つまり、そこは有機生命体の喧騒とは無縁の島だった。波のさざめきだけが、島を満たす唯一の音だった。
 偵察帰りのサウンドウェーブがそんな島に降り立ったのには、理由があった。
 青の中の緑の点――島――を縁取る白い砂浜、その波打ち際に、彼が居た。だから、降りたのだ。
 サウンドウェーブにとってもまた、何の興味も惹かないような、こんな島に。




Blue Blue Blue






 上空から見たときと変わらず、彼は、白い砂の上に膝を抱えて座りこんでいた。
 砂まみれになった機体の洗浄が面倒だというのは、人間もトランスフォーマーも違いはない。のちの面倒を考えれば、水色の戦闘機が何を好き好んでこんなところに座りこんでいるのか、サウンドウェーブには理解できなかった。理解はできなかったが、かの存在が自らの行動原則に例外を起こさせるものであることは、サウンドウェーブ自身が認識していた。
 酔狂なことだ……。
 それは彼なのか。自分なのか。
 自らにも定かではない想いを、サウンドウェーブは独りごち、同胞がやって来たことに気づいているだろうに、身じろぎもしない水色の背に向かって歩き出した。足の下で、刺胞動物の風化した骨の欠片が、軽い音を立てて砕けた。

「――なあ、海の水ってさ、こうやって手に取ると透明なのに、どうしてあんなに青いんだろうな?」

 彼は、音声が届く距離に入ったサウンドウェーブに、振り返りもせず話しかけてきた。分掌が違うとはいえ、ただの航空兵が上官に対して不遜極まりない態度ではあるが、ここでそれを持ち出すほど、サウンドウェーブも無粋ではなかった。
 サウンドウェーブは、彼――サンダークラッカーが、自らに起こさせる行動原則の変更に忠実に従った。サンダークラッカーの隣に腰を下ろしながら、この素朴な疑問に答える。

「水には、光を吸収する性質がある。光は波長が長くなるほど赤に偏向する。そして……」

 重心の移動を終え、言葉を継ごうとサンダークラッカーを見ると、彼は、抱えた膝の上に頬を載せて、サウンドウェーブを眺めていた。そこには何の感情も浮かんでいなかった。なまじ造作が整っているだけに、その無表情は、無垢ささえ感じさせた。
 たぶん、今の説明を理解しようともしていないのだろう。サウンドウェーブは、そう判断して軽く――隣に座る戦闘機にも聞きとれないように、本当に軽く――排気をして、言葉を変えた。

「……分光スペクトルのうちの、赤いものが吸収されて、青だけが見えているのだ」
「アンタの言うことは、難しくてよく分かんねーよ」

 サウンドウェーブとしては極限まで噛み砕いた説明を、躊躇なく一蹴する権限も、彼だけに与えられたものだ。

「水面近くでは、空の色を映しているとも言われている」
「ああ、それは分かりやすいな」
 ははっ、と笑って、サンダークラッカーが立ち上がった。飛ぶことに特化された機体は、いっそ華奢と言っても良いほど、スラリとした立ち姿を見せる。地球の空と同じ色でカラーリングされた戦闘機は、それでも、意外にはっきりとした輪郭を、青空の中に浮かび上がらせた。

「でもよ、こうやって見てると、空よりも海の色のほうが、もっと暗い青だぜ? 海底基地の周りも。そうだな……アンタの色によく似てる」

 サンダークラッカーはそう言うと、立ったまま、サウンドウェーブの顔を覗き込むように見下ろした。ジェットロン特有の主翼が日の光を遮り、サウンドウェーブの上に大きな影を落とす。とっさにアイセンサーの露光調整が間に合わず、サウンドウェーブは、わずかの間、逆光にサンダークラッカーの表情を見失った。影に覆われることで、機体表面で感知していた気温が、ほんの少し下がった。そんなことが、やけに意識される。なぜか、胸の内に薄暗い焦燥感が広がった。解析できない焦りのまま、サウンドウェーブは言葉を繰り出した。

「……それは、水中を進むにつれて光量の衰減が起こるからだ。波長495-570ナノメートルの青から緑の光に関しては、水深が5メートル増すにつれ約」
「おっと! ストーップ! ストップ!」
 サンダークラッカーは、指先をサウンドウェーブのマスクに押し当てて、流れ出す解説を止めた。マスクの上から押さえられても、発声には実質的な障害とならないのだが、サウンドウェーブは大人しく黙った。姿勢が変わったことで、ようやくはっきり見えるようになったサンダークラッカーの顔を間近で見つめ、その言葉を待つ。

「俺、アンタの声を聴いてるのは好きなんだけど、難しい話は苦手なんだ」

 分かってるだろ? そう言うと、サンダークラッカーは小首を傾げてニヤリと笑った。生意気な顔だ。サウンドウェーブとは徹底的に反りの合わない航空参謀も、同じ顔で同じ表情をよく見せた。だが、この時サウンドウェーブが感じたのは、彼の兄弟機と対峙したときに抱くような嫌悪感ではなかった。それは、腹部の深いところから湧きあがってくる、締めつけられるような痺れるような感触だった。自身のスパークのうねりを、こんな風に感知するようになったのは、いつからだったろう。

 自分の要望が聞き届けられたことを確認したサンダークラッカーは、身体を起こすと、ふたたび水平線に目をやった。何を見ているのか、何を考えているのか、すべてを消し去った無表情で。

 彼方に心を飛ばしているその姿は、一度は消えかけた焦燥感を、またサウンドウェーブにをもたらした。

「ここにはよく来るのか」

 サンダークラッカーは、首を少し傾け、サウンドウェーブを見下ろした。

「それは、情報参謀としての尋問かい?」
「海底基地にいるのは嫌か」
 核心に触れるのを避けようと、互いに問いを重ねる。
 逸らされたサンダークラッカーのアイセンサーが、わずかに明滅した。

「……嫌じゃねぇよ。嫌じゃないが、」

 波の音に融けて消えた答えの最後は、息が詰まる、か。居心地が悪い、か。
 この航空兵が、どうやらデストロンのありかたに疑問を抱いているらしい、ということは以前から把握していた。サウンドウェーブがサンダークラッカーに近づいたのも、もともとはその調査のためだった。情報参謀として、容疑者を調べ、試し、造反が確実ならば、不穏分子として処刑する。サンダークラッカーは、一兵士ながらエリートガードとして、メガトロンの側に侍る存在だ。危険の芽は、早めに摘み取らねばならない。
 サウンドウェーブは、出来うる限りサンダークラッカーを身近に置き、その行動をつぶさに観察した。ときには、ブレインスキャンさえ行使した。そうして得られた彼の性格の弱さ、従順性、ときどき僅かに顔を出す反抗心などの情報は、数値化されてサウンドウェーブのデータバンクに蓄積された。しかし、それらがどのタイミングで現れるのか、どのように組み合わされるのか、いつ明らかな造反に変わるのか、サウンドウェーブには、その予測がつかなかった。
 サンダークラッカーの感情と行動の振幅は、いつでもサウンドウェーブの予想を裏切った。予想を裏切られるたびに、サウンドウェーブは、この調査対象の分析にのめり込んだ。そしていつの間にか、この一介の兵士に任務を越えた興味を抱くようになったのだった。そのことに対して、当のサンダークラッカーが何を考えていたのかは、よく判らない――今でも。ぼんやりとした好意は持ってくれていたようだ、というのは、後づけの希望的観測に過ぎないのだろうか。
 黙って海を眺めていたサンダークラッカーが、口を開いた。

「……空もな、ずっと昇ってくと、だんだん青が濃くなるんだ。やっぱりアンタと同じ色だ。でも、その向こうは真っ暗な宇宙だ。空気はない。宇宙線も飛び交ってる。そんなところに放り出したら、この星の有機生命体なんて、あっという間に死んじまう。……アイツら、ホント脆いよな」

 憐憫。この感情の動きも、彼を構成する特徴のひとつだった。そしてそれは、デストロンには危険な思想だった。たとえそれが、弱者に対する優越感から生まれているのだとしても。
 憐れみは隙につながる。圧倒的な力での制圧を旨とする軍団では、それは認めてはならないものだった。

「サンダークラッカー……」
「帰ろうぜ! あんまりサボってると、スタースクリームを怒らせちまう」

 サウンドウェーブの声に含まれる懸念を感じたのか、呼びかけを振り切るように、サンダークラッカーはふわりと浮かびあがった。
 このまま引きとめても、彼が自身の内面を明確に話してくれることは、おそらくないだろう。あるいは彼自身にも、己の心の動きが分かっていないのかもしれない。

「……ああ、そうだな」

 だが、問い詰めなかった理由は、本当にそれか? むしろ自分のほうが、この関係を崩したくなかったからではないのか? 互いに本音を隠しながらも、同じ時間を共有できるという関係を。
 上空に上がってからも、二人とも無言だった。戦闘機には遥かに劣る飛行速度しか持たないサウンドウェーブに合わせて、サンダークラッカーもヒューマンモードのままでサウンドウェーブの横を飛んでいる。
 しばらく飛んでいると、サンダークラッカーが、ふと下を見て言った。

「サウンドウェーブ、ちょっと見てろよ」

 そう言うや否や、サンダークラッカーは、身を翻して降下していった。海面近くで機体を安定させ、水面ギリギリのところを飛び始める。
 何をするつもりだろうか。
 突然の行動を訝しむサウンドウェーブの下で、海面に変化が起こった。黒くツヤツヤとした丸い背が、波間に次々と現れ、水面をかすめて飛ぶサンダークラッカーを追うように、泳ぎ出したのだ。
 ――海棲の哺乳生物か。たしか、イルカ、といった。
 サンダークラッカーは、この有機生命体の移動速度にあわせて、機体の動きを繊細に制御している。イルカの群れは、軽快なリズムを刻みながら、ジェットロンの機影と戯れていた。
 不思議な光景だった。人間の言葉を借りるなら、そう ―― 夢のような光景だった。
 戻って来たサンダークラッカーのアイセンサーは、明るく輝いていた。普段のとらえどころのない表情は、彼のほんの一部でしかないのだと、サウンドウェーブは、このとき思い知った。
 サンダークラッカーは、去りゆくイルカの群れを見送りながら言った。
「ああやって飛ぶと、アイツら俺の周りについてくるんだ。面白いよな」
「飛行中に水面に接触すると、制御を失うぞ。水の抵抗は意外に大きい。墜落のダメージも甚大だ」

 ああ。我ながら面白くもない答えだ。どうしてあの時、素晴らしい光景だったと、素直に言えなかったのか。

「そんなヘマはしねーよ」

 軽く唇を尖らせて答える君は、もちろん本当に怒っていたのではなかった。そんなことは分かっていた。

「だが」

 デストロンとして生きるには、あまりにも地球に馴染んでしまった君が、心配だったのだ。あの惑星に、嫉妬していたのだ。俺は。

「ああでも、もしそんなことになったら、そのまま海の底で眠るのもいいかもしれないな。アンタの色の中で」

 ま、そんな幸運なこと、俺にゃ起こりっこなさそうだけどな。
 そう言って笑うサンダークラッカーの顔に、軽いノイズが走った。音声停止。映像の再生が終わる。
 そして、再起動。
 サウンドウェーブは、自室の寝台に横たわる自分を認識した。
 宇宙空間を進み続ける戦艦の低い駆動音が、部屋全体を微かに震わせている。
 光を完全にシャットアウトした暗闇のなかで、それだけが現在の自分が置かれた状況を思い出させる要素だった。

「……夢カ」

 トランスフォーマーといえど、夢は見る。
 幸せの記憶の再生と、最悪の記憶の再生とを。
 幾度繰り返しても、留められない笑顔の記憶と。
 幾度繰り返しても、止められない悲劇の記憶と。
 正確なデータ再生の上に、いや増しに塗り重ねられていく感情と。
 それを夢と呼ぶのなら。
 あの青い惑星に行くまでは、夢など見たことはなかった。

「海ニ抱カレテ眠リタイト、君ハ言ッテイタナ」

 自分を取り巻く闇に向かって、サウンドウェーブは呟いた。
 群青の中で眠る空色の機体。それはもはや空想の中にしかない、悲しみを湛えた幸せの光景だ。
 彼は、あの時、正しく自分の行く末を見つめていた。
 シャトルから離れ、小さくなっていく翼。
 彼は、望んでいた色彩豊かな世界ではなく、真っ暗な宇宙空間に消えて行ったのだ。
 軽く排気して起き上がり、サウンドウェーブは暗闇の中を執務デスクに向かった。コンソールを起動させファイルを立ち上げると、ディスプレイに宙域図が示された。そこは、サンダークラッカーが消えていった宙域だった。
 サウンドウェーブは、セイバートロン星に帰還して以来、デストロンの情報参謀という立場を最大限に利用し、この宙域に独自の情報網を作り上げていた。たった一機のジェットロンのために。わずかでもサンダークラッカーにつながる手がかりが見つかったら、その情報は、あらゆる検閲をパスして専用の回線に入るように設定されていた。

「俺ハ、必ズ君ヲ見ツケル。ドンナ姿ニナッテイテモ」

 広大な宇宙の中から、生死も分からない一機のトランスフォーマーを見つけだすなど、勝算がゼロに等しい賭けに違いない。それでも、行動せずにはいられなかった。たとえ、スパークを失った金属の屑になっていたとしても、それがかつてサンダークラッカーを構成していたものであるならば、己の手に取り戻したかった。

「ソシテ、マタ行コウ……アノ惑星ニ」

 体内に内蔵されたタイマーが、任務開始の時刻を知らせていた。
 立ち上げていたファイルをすべて閉じ、すべての物思いを振り払い、冷徹なデストロンの情報参謀の仮面をつけ、任務に向かう。扉が開く一瞬、通路の光が暗闇を切り裂き、次の瞬間、部屋はふたたび闇に沈んだ。
 しばらくして――。
 コンソールに、専用回路への着信を知らせる光が灯った。仄かな光は、静かに無人の部屋を照らしだしていた。








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