※設定等、ほぼオリジナルと化しています。





 “サンダークラッカー”との同居には、さほどの問題はなかった。
 機体の大きさもあったろうが、サウンドウェーブ自身が、以前からサンダークラッカーがプライベートスペースまで立ち入ることを許していたこともあって、ごく短時間のうちに、彼の存在はサウンドウェーブの日常に組み込まれたのだった。
 一方で、当然のことながら情報参謀の新しい同居人は、軍団内の好奇の視線に晒された。デストロン軍には珍しい華奢な機体をたまたま目にした者たちは、その正体について、新規のカセットロン、情報処理の補助機体、あるいは……もっと下世話なことまで、妄想逞しく作り上げたゴシップを、せっせと周囲に垂れ流し歩いた。あらゆる噂がサウンドウェーブの周りに溢れ、嫌悪と嘲笑がない交ぜになった視線がサウンドウェーブ向けられた。
 しかし、サウンドウェーブは気にしなかった。所詮は、益体もない噂話なのだ。わざわざ自らが出ていくことで、彼らに暇つぶしの娯楽を供することはない。もちろん、“サンダークラッカー”を軽々しく連れ歩くようなマネもしなかった。
 そうこうするうちに、噂もすぐに目新しさを失って、デストロンの日常に消化されていった。サンダークラッカーの不在が、すでにもう既存の事実となってしまっているのと同じように。
 ただ一機、スカイワープだけが、サウンドウェーブを見かけるたびに、射殺さんばかりの光をオプティックスに湛えて睨みつけるのを除いては。





Phantom Pain 2





 スカイワープが何を考えているのか、それはそれで気にはなったが、それ以上にサウンドウェーブには気になることがあった。“サンダークラッカー”の挙動に、おかしな点があることだ。
 別に、裏切りを企んでいるだとかいう話ではない。ときどき彼が、虚空を見つめたまま固まっていることがあるのだ。慣れない機体とプログラムが軽微な齟齬を起こしているのかもしれない、とは思ったものの、サウンドウェーブには手出しができなかったし、するつもりもなかった。そもそも、そうした彼の機体に関わるメンテナンスは、現在すべてレーザーウェーブの管轄下にあり、数日に一度行う検診で、そのうちレーザーウェーブが調整するのだろうと考えていたからだ。
 ところが、予想に反して、それはいつになっても治まる様子がない。“サンダークラッカー”は、大人しくサウンドウェーブの命令に従い、検診以外はほとんど部屋から出なかった。そうして、時々機体をこわばらせて、一人、静かに何かに耐えていた。
 コピーとはいえ、人格はサンダークラッカーなのだ。古株の航空兵としての経験の記憶が、軍団内で自分が今どのような状況にあるのか、理解させていたのだろう。それに――どうやら、出撃前のサンダークラッカーと交わした、打ち解けた会話の記憶は、“彼”には移行されていないようだ、とサウンドウェーブは判断していた。とすれば、今の“サンダークラッカー”にとっては、自分は親しみのない上官なのだ。ならば、下手に刺激して混乱させないほうが良い――。
 だから、サウンドウェーブは、何も訊かなかった。“サンダークラッカー”は、何も言わなかった。
 そうした、奇妙に平穏な共同生活が一ヶ月ほども続いたある夜、メインルームにいたサウンドウェーブに、レーザーウェーブからの短い通信が入った。

《本体のリペアが完了した。明日、実験の最終工程に移る。》

 通信を切り上げたあと、サウンドウェーブは妙に落ち着かない気分になり、メインルームを出た。
 通路を歩きながら、先刻の通信の内容を反芻する。
 最終工程――実験体で収集したデータを本体に移し替える、ということだ。つまり、あの小さな“サンダークラッカー”との同居は、今夜が最後ということになる。
 最後。
 はたと、サウンドウェーブの足が止まった。
 そう最後だ。それがどうしたというのだ?

 ――アレは、ただの仮の容器だ。

 顕然たる事実を言葉で確認してみても、スパークチェンバーの周辺が不穏にざわめく。
 スパークが、論理回路の制御下から外れようとしている。
 なぜだ。
 自分自身の感情が、自分の命令をきかない。
 気分が悪い。
 言うことをきけ。
 吐きそうだ。

「クソッ!」

 サウンドウェーブは、苛立ちに任せ、床を蹴りつけるようにして、再び歩き出した。




***





 結局、メインルームに戻る気にならなかったサウンドウェーブは、いったん頭を冷やそうと自室に立ち寄った。
 このタイミングで、“サンダークラッカー”の顔を見ることをは気が重かったが、それでも、自分の口から伝えておきたいと思ったのだ。……別れを。
 だが、求める小さな機影は、自室にはなかった。まず考えたのは、すでにレーザーウェーブが連れて行った可能性だった。だが、それならば自分にも何かしらの連絡があって然るべきだ。では、カセットたちが気分転換にでもと連れ出したのか? いやそれはない。カセットたちは、今日、メガトロンについて出ている。
 サンダークラッカーは、どこに行ったのだ。
 サウンドウェーブは、妙な焦燥感に背を押されるように、自室に備えたコンソールを立ち上げ、実験体の体内に埋め込まれた追跡子の信号を追った。そして、それがスカイワープの部屋から発しているのを確認した瞬間、サウンドウェーブのブレインサーキットに、自分を睨みつける黒いジェットロンの姿が蘇った。抑えつけるのに成功したはずの苛立ちが、再び頭をもたげる。
 なぜ、出て行った?
 なぜ、俺の命令に従わない?
 部屋を出たサウンドウェーブは、足早に一般兵舎へと向かいつつ、スタースクリームに通信を入れた。

《ンだよ》

 反りの合わない相手からの通信に、あからさまに不機嫌な声でスタースクリームから応答が返ってきた。普段ならば、そこで一つ二つの嫌みの応酬があるのだが、今はそんな気分ではなかった。単刀直入に用件を切り出す。

《T……“テストフレーム”ガ、スカイワープノ私室ニイル》
《ぁア?》

 サンダークラッカーが、と口を衝いて出そうになり、慌てて途中で言い換えた。基地の中とはいえ、どこで聞かれているか分からない。スタースクリームも、聞き慣れない単語に一瞬戸惑ったが、すぐに理解したようだった。

《……なんでまた》
《知ラン。貴様、今回ノ実験ノコトヲ、ヤツニ話シタノカ》
《ンなワケねーだろ。お前、そこまで俺を馬鹿にしてンのか》
《デハ、何故ヤツガ関ワッテクル》
《知るかよ。でもまあ、ボロボロの“あいつ”を回収してきたのはスカイワープだからな、馬鹿なりに何か感じてんじゃね? って、あ……》
《ドウシタ》
《ん……いや、アイツら、もともと俺とよりも感覚共有が強いみてェだから、そっちかもと思ってよ》

 感覚共有。面倒だ。
 サウンドウェーブは、我知らず舌打ちした。してから、何が面倒なのか、自分でもよく分かっていないことに気づいた。

《……ソノ点ニ関シテハ後日調査スル。トリアエズ、今ハ実験体ノ回収ニ向カウ》
《まあ、スカイワープのヤツが素直に返してくれるとは思えねェけどな。せいぜい頑張りな》

 回線越しでさえ、明らかに笑いを含んでいると判るスタースクリームの声音に、もう一度舌打ちして、サウンドウェーブは通信を切り、目前の事象に意識を戻した。
 図ったように、スカイワープの部屋のドアが、そこにあった。




***





 インターホン越しに来訪を告げると、意外にもあっさりと扉は開かれた。抵抗された場合は、破壊も辞さないつもりだったし、むしろ抵抗はあるだろうと思っていたのだが。何か意図があるのだろうか。
 用心を怠らず部屋に踏み入ったサウンドウェーブの嗅覚センサーが、エネルゴン酒の匂いを感知した。いつもの如くの酒盛りの最中だったのだろう。続いてアイセンサーが、コーンヘッズのとんがり頭が三つ捉える。それから、部屋の主である黒いジェットロン。

「よう、サウンドウェーブ。アンタんとこの可愛い子ちゃんを、借りてるぜぇ」

 誰かが、暢気な声を上げた。ラムジェットだろうか。別にいい。誰だろうが関係ない。
 サウンドウェーブは、スカイワープの影に隠れるようにして座っている、小さな機体しか見ていなかった。

「何ヲシテイル。戻レ」
「……イヤだ」

 消え入りそうな拒絶が、黒い機体の向こうから返ってくる。
 サウンドウェーブは、重ねて言った。

「戻ラネバ罰スル」

 小さな顔がこちらを向いた。固い表情で、サウンドウェーブを見上げる。
 これは、脅しだ。
 自分が戻らねば、誰が罰せられるのか。それが自分だけでないことは、彼には分かるはずだ。
 逃げられないことは、分かっているはずだ。
 彼に与えられた翼は、偽物なのだ。

「来イ」
「……」

 無言で立ち上がった“サンダークラッカー”は、ノロノロとスカイワープの前を横切り、サウンドウェーブの前に立った。せめてもの抵抗のつもりなのか、視線を落としたままで顔を見ようともしない。

「戻ルゾ」

 頑なに動こうとしない“サンダークラッカー”の腕に手をかけると、その全身がビクリと強張った。
 妙な雰囲気を察したコーンヘッズが、息を潜めて事の成り行きを見つめているのが分かる。……その視線が煩い。苛々する。
 その時、サウンドウェーブがこの場へ姿を現わしてから、ずっと沈黙を守っていたスカイワープが声を発した。

「ヨォ、イヤがってるじゃねェかよ。無理強いす……」
「黙レ、航空兵スカイワープ」

 サウンドウェーブは、スカイワープの言葉を半ばで叩き切るように遮った。
 胸の奥で燻っていた苛立ちが、はっきりと燃え上がる。
 今はいない“本物の”サンダークラッカーと同じ顔をして、自分を見上げるジェットロンの存在が。
 たかだか同型だというだけで、さもすべてを心得ているかのような口ぶりが。
 そして、サンダークラッカーがこの兄弟機の元に逃げ込んだことが。
 何もかもが、忌々しく腹立たしい。

「ソモソモ、オ前ハコノ問題ニ関ワルコトヲ、許サレテハイナイハズダ。コノ場デ銃殺サレナカッタダケデモ、アリガタク思エ」
「んだとォッ?! てめェ! 許さねェッ!!」
 サウンドウェーブの面罵に、スカイワープが吠えた。
 ジェットロン特有の端正な顔の中で、オプティックスの赤が鮮やかさを増して煌めいた。怒りと憎しみと。強烈な負の感情が、咆哮を上げて黒いジェットロンから吹き上がる。スカイワープは、その怒りに任せて腕の機銃を起動し、自軍の情報参謀に照準を合わせた。同時に充填。
 いっそ優雅とさえ見える、その流れるような動作に、ただの阿呆に見えてはいても、やはり戦士なのだな、などという場違いな感慨を、サウンドウェーブに抱かせた。

「……ぶっ殺してやる」

 怒りで歪んだスカイワープの唇から、押し殺した呟きが洩れた。緊張と、不穏な沈黙が部屋を満たしていく。ギリギリまで張りつめられた糸が、まさに切れようとしたその瞬間、甲高い声が上がった。

「よせ! スカイワープ!!」

 叫び声と同時に、ダージとラムジェットが両側から飛びかかるようにしてスカイワープの腕を拘束し、照準を外した。スラストが、抵抗するスカイワープをかばうようにして前に出、サウンドウェーブに訴えた。

「サウンドウェーブ、スカイワープは酔ってるんだ。悪気はなかったんだ。コイツ、サンダークラッカーがいなくなって、寂しくてしかたないんだ。頼む。許してやってくれよ」
「二度目ハナイ」

 吐き捨てるように言うと、サウンドウェーブは、サンダークラッカーの腕を引き踵を返した。

「チクショウ! 返せよ! クラッカーを返せよッ……!!」

 部屋を出る二人に追い縋るように放たれたスカイワープの叫びは、閉じた扉に断ち切られた。一般兵舎の通路は、背後の部屋での出来事など、まるでなかったかのように静まり返ってっている。
 ――スカイワープにどこまで知られたのか、尋問せねばなるまい。
 小脇に抱えた機体を横目で見降ろしながら、サウンドウェーブは、人けのない通路を大股に歩いて行った。




***





 一歩自室へ入ったところで、閉じた扉に背を預け、サウンドウェーブはアイセンサーを閉じた。
 外の世界を遮断することで、自分の中に渦巻く感情を鎮めようと努める。深く排気してから、アイセンサーを開いた。そこでやっと、サウンドウェーブは、脇に抱えているサンダークラッカーがぐったりしていることに気づいた。
 スカイワープの部屋を出て後、一般兵舎から幹部の居住区域までの間を、苛立ちに任せてずいぶん乱暴に歩いた記憶がある。大きな機体に拘束された状態で運ばれたことで、なんらかのダメージを受けたのだろうか。

「大丈夫カ」

 サウンドウェーブは、弱々しい駆動音を立てる小型機を、慌てて下ろそうとした。その際に、焦りが力加減を誤らせたらしい。両脇を支えて前へ廻した弾みに、上腹部を強く押さえられた形になったサンダークラッカーが咳き込んだ。
 ゴホッ……ゲッ! ゲポッ!
 喉奥から、狭い管を空気が逆流する音を立てながら、彼は、液状のエネルゴンを口から吐き出した。吐瀉物からは、安酒の匂いが立ち上った。まだエネルギー変換されていない、摂取したままの状態だ。

「うぅ……もったいねェ……」

 吐くだけ吐いてしまうと、サンダークラッカーは、肩で排気しながら呟いた。急激にかかった負荷による消耗で多少ふらついてはいるが、過剰に摂取した分のエネルゴンを吐き出したことで、いくらか気分が直ってきたようだった。
 ただの飲み過ぎで、内部機関が深刻な損傷を被ったというわけではないと判断したサウンドウェーブは、先程とは異なる安堵の溜め息を吐いた。

「エネルゴンノ過剰摂取ダ、馬鹿者。今ノ自分ノ状況ヲ、ヨク弁エロ」
「う……ゴメン。アンタの部屋、汚しちまった」

 素直に謝ったサンダークラッカーは、自分を支える腕から逃れようとするかのように、小さく身じろぎした。

「……片づけねェと」
「気ニスルナ」

 気まずげにモゾモゾと動く機体にそう言うと、サウンドウェーブは、リモートコントロールで清掃用ドローンを起動させた。壁面に隠されたドックが開き、ドローンが走り出てくる。その稼働状況を視認して、サンダークラッカーを抱えたままソファーまで移動し、小さな機体を膝に載せた状態で腰掛ける。その動作があまりに自然だったせいか、サンダークラッカーも特に抵抗することもなく、そのまま膝の上に収まっていた。そうして、愛嬌のある形をしたドローンが床の汚れを浄めていくのを、二機は黙って見つめていた。
 しばらくして、サウンドウェーブは、サンダークラッカーの機体が細かく震えていることに気づいた。薄い翼が、カタカタと音を立てて、カセット収納部のカバーガラスに当たっている。

「ドウシタ」

 こちらに背を向けたままう項垂れている姿に、サウンドウェーブが問いかけても返事がない。極度の緊張による硬直を示す機体を動かすこともためらわれ、横からその顔を覗きこむ。俯き、まるきり表情を失ったフェイスパーツの中で、見開かれたアイセンサーだけが明滅していた。
 サウンドウェーブは、一瞬の躊躇の後、サンダークラッカーにブレインスキャンをかけた。今の状態で本人から症状を無理に聞きだすよりは、そのほうが手っ取り早いと考えたのだ。だが、得られたのは、でたらめに渦巻く不安と混乱を表す信号だけだった。
 ブレインスキャンは、肝心な時に役に立たない。サウンドウェーブは、この数時間のうちに、すっかり癖になってしまった舌打ちをしようとして思いとどまった。なぜ? ――分からない。ただ、無駄に苛立ちを露にするよりも、症状が治まったら本人に訊くほうが論理的だと、そのときはそう考えたのだ、と思う。
 どれくらいの時間が経ったろうか。数分だったのか、数十分だったのか。為す術もなく見つめていたサウンドウェーブの視界の中で、サンダークラッカーの後ろ姿から、ふっ、と緊張が抜けた。細い排気音。頚部に走るケーブル類が張り詰め、頭部が少し持ち上げられた。

「何ガ起コッテイル?」

 サウンドウェーブの問いかけに、サンダークラッカーは、肩越しに横顔を見せた。オプティックのカバーグラスの奥で、アイセンサーが背後のサウンドウェーブに向けられる。

「手が……痛むんだ」
「手?」

 オウム返しに訊き返したサウンドウェーブに、サンダークラッカーは背を向けたまま頷いた。

「手っつっても、元の機体のヤツだ。ここには、まるっきり無いのにな。でも、間違いなく俺の手なんだ。今の腕の、もっと先にあるって分かるんだ。ソイツがな、ときどき拳を握りしめる。それが始まると、止めようと思ってもダメなんだ。俺の手なのに、俺の言うことを聞かないんだ。そのうち、ソイツは機体耐性を超えるほどの強さで拳を握りしめだす。本物の手だったら、自分で自分を破断してるぐらいの強さだ。そうなると、俺は激痛で動けなくなる」

 そこまで一気に喋ると、サンダークラッカーは、一旦黙った。それから、弱々しい排気をひとつ吐くと、ふたたび話しだした。

「手だけじゃない。脚も、腕も、翼も、機体中がおかしな方向に捩じ曲がったり、折れるほどに撓んだりする。でも俺には止められない。……どうしてなんだ? 俺の今の身体はこれなのに、俺のブレインがそれを認めないんだ」

 サンダークラッカーは、話しながら顔の前に広げていた手のひらをぐっと握り、サウンドウェーブを振り返り、まっすぐに見上げた。

「じゃあ、俺は何者なんだ? サンダークラッカーなのか? そうじゃないのか? 誰なんだ? 生きてるのか? 死んでンのか?」

 膝の上で、機体ごと向き直ったサンダークラッカーが、サウンドウェーブのカセット格納庫の表面に手を当てる。そこに刻印された紫のインシグニアに縋るように、わずかに指が曲げられた。

「サウンドウェーブ」

 アイセンサーに宿した強い光とは裏腹な、縋る声。

「お願いだ。俺に触れてくれ。俺の輪郭をはっきりさせてくれ。これが俺の身体だ、って分かるように。俺はここにいていいんだ、って思えるように」

 “サンダークラッカー”の顔がふたたび伏せられ、見えなくなる。
 サウンドウェーブは、自分の胸に置かれた手をそっと握りこんだ。掌の中で、細い手指が跳ねるように動いた。
 小さな実験体は、群青のトランスフォーマーに手を預けたまま、懇願をくり返した。

「頼む……。お願いだ」
「……」

 サウンドウェーブは、黙ったまま、膝上の機体の顔に手を添え、仰向かせた。
 後頭部に手を当てて抱き寄せる。薄い装甲を抱き潰さないように、細心の注意を払いながら。
 脆く危ういその感触。小さな顔。震える唇。オプティックスに揺れる光。それらを、ひとつひとつメモリに刻みつける。
 それから、聴覚センサーに顔を寄せた。
 フェイスガードを開き、囁く。

「サンダークラッカー」

 返ってきたのは、すすり泣くような吐息だった。




***





 ――結局、この夜抱いたのは、何だったのだろう。




 自分の心の中に、少しばかり居場所を大きくした水色の航空兵だったのか。
 それとも、翌日にはこの世から消える、哀れな実験体だったのか。




***





 都市の外に広がる荒野を見下ろす丘に、水色の翼が佇んでいるのを、上空から見つけた。少し離れた場所に降下し、徒歩で背後から近づく。
 ジェットロンの感覚器は鋭敏だ。とっくに接近に気づいていたのだろう。サンダークラッカーは、肩越しに横顔を見せて、歩み寄るサウンドウェーブに言った。

「べつに、脱走とかは考えてねーよ」

 サウンドウェーブは、黙って航空兵の隣に立った。足下に広がる、岩だらけの大地を見下ろす。
 サンダークラッカーも、同じように見下ろしながら、独り言のように続けた。

「まあ……なぁ、ヒトのコトを好き勝手しやがって、とは正直思うけれどな。でも、サイバトロンならともかく、デストロンだからな。そんなこともあるんだろうなと、思ってたし……」

 語尾が揺蕩うように消える。サウンドウェーブは、やはり黙っていた。何も、言えることがなかったからだ。
 沈黙が、二機の上に落ちた。街の音は遠く、ここまでは届かない。もっとも、半分以上が廃墟と化したこの地区に、喧騒を生むような住人の活動は、ほとんどなかったが。

「……この機体に戻ってからは、痛みはない」

 その言葉に、サウンドウェーブはバイザーの下で、アイセンサーだけを隣に向けた。
 ――自分は、どちらのサンダークラッカーに触れたのか。
 あの夜以来、消えない思いがブレインサーキットを過る。

「俺は、“アイツ”の記憶を引き継いでる。アンタが触れた“アイツ”の機体の輪郭も、俺は感じる」
「……」
「この感覚は、たぶんいつか消えるんだろうなとは思う。俺は、この身体で生きる。けれど、“アイツ”は俺だったし、俺の中に“アイツ”はいる」
「……ソウカ」

 ならば、自分とサンダークラッカーの関係も、何か変わったのだろうか。彼にとって、自分の存在は、なんらかの意味のあるものになったのだろうか。
 ブレインスキャンすれば――。
 一瞬の思いは、即座に打ち消した。  彼方の地平を見やるジェットロンの顔には、なんの表情も浮かんでいない。スキャンしたところで、いつものように、空っぽの感情しか読み取れないのならば。
 ――そんなものは、知りたくない。

「サウンドウェーブ」

 サンダークラッカーが、サウンドウェーブの名を呼んだ。ふと、この声で呼ばれるのは、久しぶりだということに、気づいた。
 いつの間にか、サンダークラッカーがこちらを見ていた。

「ナンダ」
「スカイワープは、たぶんほとんど何も分かっちゃいない。アイツは……俺がデストロンにいさえすれば、それでいいんだ。だから、」
「分カッタ。スカイワープノ件ハ、忘レヨウ」
「頼む。お願いだ」

 あの時とは、全く違う声で紡がれる、同じ言葉。

「俺ヲ信用シロ。……サンダークラッカー」

 サウンドウェーブは、サンダークラッカーから目を逸らし、地平線に視線を移して返事をした。
 水色のジェットロンも、溜め息を吐いて、ふたたび荒野に向き直った。
 彼方の地平は微かに煙り、大地の輪郭は曖昧にぼやけている。

「……嵐がくる」

 サンダークラッカーが、ポツリと呟いた。
 嵐の予兆など、どこにも感じられない柔らかさで、風が機体の表面を柔らかく撫でていった。
 気象管理システムが不調をきたしてから、セイバートロンの天候は、この小さな惑星本来の荒々しい自然をむき出しにするようになった。完全に管理された世界で成長してきたセイバートロンは、そうした不意の変化には滑稽なほどに弱い。鋼鉄の惑星の住人は、嵐のたびに右往左往するのだ。
 この天空を切り裂いて飛翔するジェットロンは、そうしたわずかな大気の変化さえ感じ取ることができるのだろうか。  穏やかな世界の、裏切りの予兆を。予定調和の中に潜む、破綻の予感を。
 水色の翼の先が、微かに震えているのを視界におさめ、サウンドウェーブは思った。
 立ち尽くす二体のセイバートロニアンの間を、ほんの少し強くなった風が吹き抜けていった。








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